小保方晴子さんは今どうしているだろう
小保方晴子さん、貴女は今どうしていますか?
STAP細胞。難しいことは私には分からない。 しかし、研究は続けて欲しい。というのには訳がある。 私の兄は難病と診断され医師の言った通り発病後5年の命でした。 50に届かないうちに天使の国へ昇って行ってしまった。 20数年前の五月の終わりの出来事であった。 医師から「筋委縮性側索硬化症」という病名を告げられたがどんな病気か 知らなかった。医学書で調べてみて筋肉の衰えていく病気だと始めて知った。 ALSと呼ばれているようで、理論物理学者ホーキング博士も発症している。 発症時、医師からはこう念押しされた。 「発症原因が解明されていないので、現代の医学では治療法が見つかっていない。 今日出した薬はビタミン剤です。そのことは本人には告げていないので黙っていて 下さい。本当の事を知ると、宗教に走ってしまい財産をつぎ込んでしまう人を沢山 見てきました。それよりも、家族のためにお金を残しておいて頂きたいと思うから 言うのです。」 確かに僅かな望みをかけ、兄は頸椎の手術をしたいと言う。頸椎が神経を圧迫し ているのではないかと本人は考えていました。そのことを私や家族にもさかんに説 明していた。 本当の病気のことを告げることが出来ず、兄の思いを叶えてやりたくて主治医に 手術をお願いしました。術後兄は「直ったぜ・・」といい、足を跳ね上げて、ピョン ピョン歩いて見せた姿が脳裏に浮かびます。 しかし、それはわずかな期間でした。病は気からといいますが、その時は本当に元 気になっていたんです。歩くことも困難な状態であったにも関わらず軽快に歩いて いましたが、病気が進行するするにつれ衰えが出て、次第に声も発することができ なくなり、痛い? 熱い? かゆい? 手? 足? 背中? 飲みたい? 水?等 書いた紙とまばたきで返事を聞き取っていました。 入退院を繰り返し、最後の夜には私も兄嫁も泊まり込んで病室にいました。 なぜなのか、二人とも今日は帰らない方が良いような何かを感じていたのです。 夜明け前、ゴゴーーー ゴゴーーー と大きないびきを始めました。 看護師さんはそれが最期のサインだと知っているようで、動きがあわただしくなった。 脈を採る、瞳孔にライトを当てる。頻繁にこれを繰り返しカルテに記録を付けている。 大きな大きないびきを最後に、ピタッと静かになりました。主治医の先生が心臓マ ッサージや電気ショックを続けてくれましたが、呼吸は戻りませんでした。 「ご臨終です。」という言葉が耳にはいった。 小保方さんの研究が、難病に何らかの貢献ができるかは知りませんが、難病に苦しむ 患者さん達に一筋の光を見つけてくれそうに思ったのは私だけではなかったと思います。 小保方さん。研究を続けいつの日かきっと見つけ出して難病に苦しむ人々を救って欲しい。 と願うばかりです。 |
ひたすら歩き続けるお遍路さん。信じる者は救われる。![]() 高知県幡多郡黒潮町海岸にて撮影 浜辺で休憩後次のお寺へ向かおうとするご夫婦 ![]() 高知県幡多郡黒潮町海岸にて撮影 |
小保方晴子さん、貴方の晴は亡き母の晴と同じです。私は貴方を疑ったことはありません。 これからもずーと信じています。私に出来ることは貴方を信じ続けるという事だけです。 2015.04.27 Masao Nakamori |